こんにちは、へべれけです!
みなさん、「日光例幣使街道」という道をご存じでしょうか。
むかし、むかし。
日光の東照大権現(徳川家康)に対し、朝廷からの貢物を届ける勅使がありまして。
1646年の徳川家光の時代から、1867年の慶応の時代まで、なんと221年も続いたんだそうです。徒歩で京都から、日光まで!!
毎年京都を4月1日(3月末とも言われる)に出発し、中山道を経て、群馬県倉賀野で分岐し、日光に向かいます。この分岐した脇街道を「(日光)例幣使街道」と呼んでいたそうです。そして4月15日までに、日光に至る。そんな例幣使の使った道には、宿場が整備され、一般の人々の生活道路としても大いに利用されていたようです。
自動車も電車もない時代。
人々は徒歩でこの街道を進みました。
昔の日本人の歩いた道を、
現代の僕はランニングシューズで走ってみよう。
というわけで、パート1は中山道からの分岐点、
倉賀野宿から玉村宿までの約6キロの道のりです。
いざ、日光に向けて出発じゃ!!
いやあ、昨夜はお楽しみでしたね。
いざ、東に向けて出発でござる!!
少し行くと、このような灯篭が。これが、中山道と例幣使街道の分岐。
江戸へも行きたい!遊びたい!
でも今日は左の例幣使街道をゆくでござる。
立派な焔魔堂
嘘ついたら舌抜かれちゃうよって今の子は知ってるでござろうか?
車の多い通りを進む。
江戸時代にこんな乗り物があったら日光までホホイホホイでござったろう。
昔も街道沿いには立て札などが立っていたのでござろうか。
めっちゃいい天気でござる。
群馬の森を迂回するようにちょっと曲がって再び東へ進む。
綿貫不動尊が見えてきた。
さすが昔の人々が歩いた道。
大小さまざまなお寺や神社がそこここにあるでござる。
旅の安全を祈願したり、お金がもうかりますようにだったり。
県道(群馬)142号線。
まっすぐな道を気持ちよく走っていると、あっという間に玉村についたでござる。
玉村宿跡らしいところは見当たらないけど、それらしい看板がござった。
日光までどのくらいあるのか、今自分はどこにいるのか。
スマホもGPSもない時代、こういう宿場の情報が頼りだったのかもしれんのう。
というわけで、
フィニッシュでござる!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
(R5.1.4実施)